日本って平和だなぁ~!!子供が、川にはまって溺れた等の事件が起こると必ずと言って良いほど、
安全に対しての義務といった観点から自治体や国等への、非難がマスコミ・大衆から巻き起こる。
何故、フェンスを設置していなかったのかと。何故、警告を表示しておかなかったのかと。
フェンスがあったとしたら、何故もっと高いフェンスにしなかったとか非難するのだろうか?
世界には、農作業をしてるだけなのに、地雷で足を吹っ飛ばされる子供や
誘拐され売春宿に売り飛ばされる子供が、日常茶飯事に存在している。
このような子供達にとって日本は、楽園に見えると思うよ!!川に落ちてそれを国のせいにして怒り狂う国では、そのような世界の実情を本当の意味で
認識出来ることは出来ないのではないだろうか?
国に安全性を求めたあまり、子供達は生きていく力、生き抜く力が欠如しているのではないだろうか?誰にとっても安全に住める国を求めるあまり、安全をすべての人々に平等に与えられた、平等化の弊害。
平等化は、全ての能力を平均化する。平均化はよい事のように聞こえるかもしれないが、
本来持っていた能力を下げることにも働くのである。
子供達があまりにも過保護に扱われ、本来持っていて当然の危機を感じ取る力が失われてしまったのではないか?
例えば、カーナビと地図。
カーナビは瞬時に目的地を検索しルートを表示してくれる。カーナビのスゴさ。
操作する人間のスゴさではない。
地図は読む力である。読む力がなけれな目的地までのルートが作れない。
カーナビの普及は素晴らしいことに、地図が読めない香具師でも地図がわかるようになった。
しかし、本来地図が読めた香具師も、カーナビを使い続けるともう読めなくなってしまう。
パソコンでばかり字を打ってると、もう手でキレイな字が書けなくなるのと同様に。
平等化による利便性。しかしその裏に何があるかを考えなければならない裕福な日本の安全の高度化は、危険さを平等化した結果、本来持っていた意思と危険回避能力を損失させたのではない?
そして、意思と危険回避能力を知らずのうちに消し去ってしまう。
地雷による被害者は約22分間に1人とも、1日に70人にのぼるとも言われ、被害者の20%は15歳未満の子供です。
また、直接地雷の被害にあった子供だけでなく、自宅周辺に地雷埋設地があるために学校に行くことができない子どもたちも数多くいます。
子どもたちにとって、地雷は日々の生活に大きくのしかかる危機であり、自分た ちの努力では防ぐことのできない問題なのです。
過保護に育てられた日本人は、確実に生き抜く力はないなorz