昨日は、久々にゼットン村で汗を流した。
モロヘイヤを根っこから引き抜き、葉っぱを採集。
モロヘイヤって、150cmくらいまで背が高くなるんだよね。
だから、採集した量はコンビニ袋軽く一杯くらいある。
夜ご飯におひたしにしたんだけれど・・・、
アレだけの葉っぱが、ちょっとした量にしか・・・。
で、ゼットン村の一部を耕してネギ用の畝を一つ作った。
その仮定で・・・・クワで土を掘ってる途中で・・・・、
多分早々と冬眠していたであろうトノサマガエルをクワで殺してしまった・・・。
しまったと思った時は、もう時すでに・・・。
そして、虫の息のカエルと目があってしまった。
「ぼくは、とりかえしのつかない事をしてしまった。
ぼくがカエルを、殺してしまった・・・」 アムロの気持ちが少しわかった。
なんか、すごく悪い気分ってか、ショックってか・・・・。
わたしゃ、故意じゃなくカエル殺してもブルーになるから、
斧で人とか殺せないタイプだわ・・・・。
ただ、ゴキブリや蚊かムカデは故意に殺意剥き出して殺すのに・・・。
カエルにもゴキブリにも、そこには命が存在してる事は間違いない。
ゴキや蚊や百足に対しての殺意。
殺意と言うのは、少なくとも命の灯火を消す行為だ。命は意識してるはずだ。
自分にとって不快や何か悪い事をするモノを殺すのには
良心の呵責や命の重みがないってことなんだろうか?
命の重みって・・・なんなんだろう・・・・。
殺意って・・・なんなんだろう・・・・。この記事を書いたのは・・・、カエルさんの死が強烈だった事もあるのだけれど、
なつさんの記事も影響してるのよね。
個別に書いた記事をTBする連鎖だとか、バトンのような押し売りの連鎖ではなくて、
もちろんパクリではなくてwww、
内容は全然違うものかもしれないのだけれど、なつさんの記事の連鎖・・・・。
目に見えての連鎖ではない連鎖の方が、本当の連鎖なのかもしれないなぁ~と。
時事問題の社会的な記事よりも、日常雑記の方が人に
影響を与えるのかもしれない・・・真実的に考えて・・・
だからこそ、小難しい社会派ブログよりもわたしゃ、身辺雑記のブログの方が、
好きなんだな、きっと。
でも、ハエや蚊を殺さなかったからといって、自分は他の者を殺していないかっていうと、そうじゃないですし。肉や魚を食うこと自体が殺生ですからね。野菜や果物だって生き物なんだし。
人間が生きること自体、他の者の命を奪うことと同義のような気もします。よく分からんけど、奪ってしまった命の分まで精一杯生きることでしか償えないと思ってます。きっとそれが「弔う」ってことなんじゃないかと、都合よく考えて僕は生きとりますです・・・。