ファースト原理主義者と言うのは、狭義でファーストガンダムだけを信奉する人々。
広義では、宇宙世紀なら納得するもの。アムロとシャアが出てなければ認めないもの。
富野作品のみを認めるもの。って感じでしょうか?
ただ、広義な意味での原理主義者であっても、いや原理主義者なら
最近のシードやダブルオーは到底認められるものではない。
「ガンダムを冠しないでやれよ」と言う感じではないか?
さて、原理主義者が納得する新作と言うものがあるのだろうか?
一番可能性のあるものは、ZZの新作であろう。
Zガンダム劇場版3部作で、事実上ZZは消滅した。
新約と言われたZは、ダカールの演説がないだの、
新しい作画が少ないだのと批判する人もいるけれども、
それらの事は他愛もない事だ。と言うか3部作の3作目のラストだけが重要なのである。
即ち、カミーユの気が狂わなかったと言うことだ。
と言う事は、既存のZZの世界が消滅した事になる。
カミーユおかしくなる→新しいパイロットが必要→ジュドーが登場と言う流れがなくなるから。
歴史的に見れば、ハマーン・カーンは死ぬのだから、
となれば、カミーユとハマーン・カーンの戦いを描く事は可能なわけだ。
ZZを消滅させたのが富野なら、富野の新作としてのZZの現実味はある。
他の可能性に当たろう。富野が作ると仮定して、ガンダム史をターンAで完結させたトミノが
ターンA以降の作品を作ると考えるのは難しい。
で、富野原作の小説を起すと言う可能性もある。
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」これは、「逆襲のシャア」で活躍したハサウェイが主人公である。
逆シャア直後の話でもあるし、新しいプラモも発売できるからバンダイ的にもおkかな?かな。
だが、シャアもアムロも出てこない事から原理主義者的は納得しないだろう。
種やOOよりも歓迎するだろうが・・・・。
「ガイア・ギア」これは、宇宙世紀モノとは捉えない方が多いようだが、
シャア・コンテニュー・オペレーションと言うシャアのクローンが主人公だ。
作中、クローンを持ち上げる人々はシャアへのノスタルジアを感じてるように、
この小説が映像化になった際は、原理主義者も少なからずノスタルジアを感じるだろう。
だが、クローンであってシャアではなく、アムロも出ない・・・。
wiki等では、宇宙世紀のパラレルワールドと言われてるように、
原理主義者が納得出来るものではない。
新約の「ZZ」でさえ、狭義の原理主義者はファーストではないと言う理由で納得しないだろう。
なら、原理主義者が納得できる作品の可能性はないのか?
もう一つ、富野原作の小説がある。
「密会――アムロとララァ」である。
この小説は、シャアと出会う前のララァ、シャアとララァの出会いが描かれ、
アムロとシャアとララァに焦点を絞って、1年戦争時まで書かれている。
漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』でもララァの過去が描かれているが、
小説とは内容が全然違う。
この小説の映像化は、狭義な原理主義者さえも納得させるものではないか。
原理主義者が比を唱える要素が限りなく少ないと思われる。
バンダイ的には、当たらしMSが登場しないことにより商業的な価値は低いと思われるがw
ちなみに、私は歪な原理主義者である。
もちろん、原理主義者である限りは種など到底認めない。
ZZも富野監督が、「逆シャア」を手がける事を餌に現場を離されたと思っている事。
Zがシリアスすぎて子供受けしなかった事から、ZZが幼稚になりすぎたと思ってる事。
バンダイの商業主義が台無しにしたと思ってるZZも認めていない。
ファースト、Z、逆襲のシャアを認め、例外的に「0083」だけを認めていますw
あとはF91までは好きなんですが、『W』以降は婦女子狙いのへんなアニメになってきたし、
特に『Gガンダム』なんてもう・・・ガンダムの皮被ったキンニクマンでしたからね。内容も御当地名産ガンダムの戦いだったし、 ファースト以降、ほかのガンダムがあまりにショボイから原理主義者はガンダムと認めたがらないのですよ。
安易にガンダムのブランドでバッタモノアニメ作るなんて
ダイソーで売ってる100円のパンツにシャネルと書いて6000円で販売するようなものですよ
偉い人にはそれが判らんのです。