61年前にあった悲惨な出来事、未来の私達のために苦しみ命をもって繋いでくれた人々の記憶。
今の若い世代にとっては戦争の記憶が風化してしまって、実感がない時代になってしまった今、
全てが忘れられ始めているのではないでしょうか?
毎年、夏になるとマスコミ・テレビなどで特集されても、なかなか伝わっていかない現実。
平和な生活を送る私たちの世代には、過去のあの時代の悲惨さや苦痛を理解することは非常に難しいかもしれない。
ましてや10代の若い世代は特に・・・・・。
それは、唯一の地上戦を経験した沖縄や世界で唯一、原爆が落とされた地、広島・長崎ですら、
10代の若い世代では、第二次世界大戦についての重要なキーワードすら知らない子供が増加する傾向にあると以前テレビで見た時がある。
何故なのだろうか?
一つは伝え切れてない大人達の責任であろう。
もう一つは、ジュネレーションギャップではなかろうか?
(ここで言うジェネレーションギャップとは、年寄りに「今の若いもんは」と言われて価値観がどうのとか時代がどうのとか
感情的に文句垂れる愚痴ではない)
10代の少年少女達になりたいもののアンケートを取ると
男子 1位 プログラマー、コンピューター関係 3位公務員
女子 1位 保育士、2位教師、3位お嫁さん
となる。この結果を分析すると以下のように考えられる。
彼らは、転職はよしとしない。一つの会社で長くいたいと保守的に望んでいる。
でも、リストラを気にかけているので、専門的な資格、スキルを身に付けたいと考えているのである。
また、アンケートに答えた者の一人は、
「仕事は、やりがいがあり、労働は、生活の糧を得るためのもの」と言っている。
女子のアンケートでは、仕事は平均17年続けたい。結婚は、平均23,5歳でしたい。
大卒で17年間働くと約40歳である。
彼女達は、早く結婚して40歳くらいまで働くイメージをもっているのである。
ここから読み取れる事は、「安定」、「保守」、「非チャレンジ精神」である。
それは何故なのか?どこから来るものなのか?
世代である。この世代は、時代が下降している時しか知らない。
バブル景気ですら、キオクの片隅にもないのである。
例えば、私は「3丁目の夕日」の世界をリアルでは知らない。
しかし、あの世界観を懐かしく感じるでのある。東京タワーが半分しか出来ていない世界に懐かしさを感じる。
と言う事は、高度経済成長の前の世界、すなわち焼け野原の世界、そして戦争を想像する余地があるのである。
本当の意味で61年前を知ること、理解する事は出来なくても想像は出来るのである。
ましてや祖父母は戦争経験者もしくは戦中、戦後を知ってる確率は高い。
日本が伸びている事を知っていると言う事は、伸びる前の状態も想像出来るという事である。
しかし、今の10代は、バブルすら知らない、時代が下降しているに生まれ育ってきた世代なのである。
このようなことを踏まえつつ、戦争の記憶を伝える努力をしていかないと60年前の人々の想いを繋ぐ事は出来ないのではなかろうか?
と言うか本当に伝えていけるのだろうか?
61年が過ぎ、平和な生活を送る私たちの世代には、過去のあの時代の悲惨さや苦痛を理解することは非常に難しいかもしれない。
約60年前の出来事を我が事のように感じることは、永遠の課題だろう。
「戦友たちは何のため戦い死んだのか。戦争って一体何ですか」。沖縄戦生存者の言葉。回転特別攻撃隊 真実はどこに・・・島唄東京裁判 - 極東国際軍事裁判 -日本がアジアに残した功績嗚呼大和 壱嗚呼大和 弐嗚呼大和 参ある者は資料を提供し、ある者は画像を、ある者は物語を、
そして、flash職人が仕上げたFLASH。
戦争を知らない世代が生み出したデジタルな戦争の記憶。
インターネットで、世代格差を超えて伝えられる記憶。
サイト:
「戦争を語り継ぐ60年目の証言」「東京大空襲 史上最大の虐殺」ネットの中に
希望があるのかもしれません。
犠牲になった多くの方々のご冥福を、最後にお祈りします。
注:昨年の今日、flashを紹介した記事をうpしますた。
その多くがリンク切れを起していました。再度、紹介しますた。
「嗚呼大和」に関しては、始めて紹介しました。
こういう説もどこかで聞いたことがあります。
読書やラジオを聞きながら人物や場面を想像していた時代から
全てが映像付で紹介される受動的時代へと・・
頭を使わない時代
他人の痛みに対する想像力なんてのも、欠けてきてるんじゃないかなー
欠けてきている部分もあるだろうし、情報が溢れすぎていて麻痺している部分もあるだろうし、
地震、戦争、凶悪殺人なんてものを深刻な顔して放送していると思ったら、次の番組ではお笑いをやってたり・・
ショッキングな場面の映像を撮るために現場に行っていても、その実、視聴者をびっくりさせるためだったり・・
考える材料が何もかも与えられているのに、
視聴者として受動的に終わってしまう。
映像の向こうの痛みや悲しみ、
大変さを想像できなくなってるんじゃないですかね
今や女の子と食事に行っても割り勘、
先輩や上司、仕事仲間と酒を飲むくらいなら服でも買うよなんて男が増えているとか。。
そんな彼らに期待するよりも
もし誰かの痛みや苦しみがわかるならば
何か行動しなくちゃーいけないのが
いつのまにか、
いつのまにか「実は我々世代」なんですよという時代なのに誰も気づかないなんて事なのかもしれませんね。
金も地位もあるはずの人生の先輩達が無責任なら
俺らなんてと若い子は捉えているのかもしれません