小さな子供は好奇心旺盛だ。色んな事に疑問を持ち、それを大人に質問してくる。
一休さんの「どちて坊や」のように。好奇心、探究心、そこから生まれ出る想像力。これが、遠い昔、猿人から人類への進化の原動力だという説も
あるくらい重要な事だと思われる。
しかし、答えるのは大変である。小さな子供が疑問に思うような事は、非常に単純で基本的な事であるが、
単純であればあるほど、答えるのは難しい。
子供には、基礎ベースの知識がないからである。大人同士なら、なんとなく解ると言った落し所がある。
中学生以上になれば、納得は出来ないまでも人間関係やらを考えて、追求はしない事もあるだろう。
小さい子供は、納得しないと満足出来ないから、適当に答える事が難しい。
よく横文字の専門用語を並べ立てて、なにやら高尚な事を言う輩がいるが、
私は
「6つの子供にもわかるように教えて?」と言う。
殆どの香具師がうまく教えてくれないどころか、何も言えなくなる。
と言う事は、言ってる本人が理解していないのだ。でも、大人の世界では、高尚な単語を並べられると
なんとなく理解出来たような気分になるかもしれないし、聞くことを恥と思うかもしれない。
で、なんとなくコミュニケーションが成り立ってしまう。
私は、過去記事に書いた内容を、子供にうまく説明は出来ないと常々思う。
「なぜ、売春がいけないのか?」
「なぜ、虫を殺してもいいのに、ネコはいけないのか?」大人には通じる部分があると思われる。それは「当たり前」と言う概念をデフォで装備しているからである。論議はその先にあろう。
しかし、子供達に概念はないし、概念を身に付けていく大切な時期でもある。
そして正しい概念を教えるのは親だけではなく、大人達の役目であろう。
しかし、その役目は非常に難しい。以前、「親は聞き上手になりましょう」と書いた事があるが、逆に聞くどころか説明しまくりになってしまいがちである。
「なんで?」「どうして?」「教えて?」と言うのは、よく見、聞く光景である。
小中高生は、わからないとすぐに解答や解法を聞きたがるし、ゲームでさえも攻略本を買ってクリアする。
ネット上でも「すぐに教えて」というクレクレ厨がいる。もちろん、小さき子供の質問とは全くと言って良い程の違いはある。
しかし、道を誤るとそういうクレクレ厨に直結していく可能性もあるやもしれない。
そこで、なんとか説明しまくりの状況を変えなければならないのではないでしょうか?
「どうして?」「何故?」と聞かれて、即答せずに、「君はどう思うか?」的な質問を逆にしてみるといいかもしれない。
そして、いっしょに考えていく。その過程が大事ではないか?
親にも、大人にも、答えられない事はあるのである。それを知るのもいい事だと思われる。
大人が何でも知ってるものと勘違いすると、大きくなってから大人に不信感を持つ可能性だってあるかもしれないし、
わからない事があってもいいんだ、と言う心の安心感に繋がるかもしれない。
それといっしょに考える事によって、わからない事は「まずは、かんがえてみる」と言う良い習慣も付く可能性がある。しかし、まず「考える」とか「調べてみる」とか言う習慣は、大人が必要なのかもしれない。