2005年07月24日に、今はもう放置してあるファーストブログにある記事を再うpします。
私の尊敬する人の記事です。忘れる事の出来ない人。
でも、人の常で忘れそうになる。
でも、改めて読んでみると再うpに値しないクォリティだな。文章力低杉orz
ほんと、「退屈な人間は、退屈な文章しか書けない」ね。
2005年4月20日4月17日20時1分。
あれから、まだ2年しか経ってないんだね、奥山さん。
私が、アフェリを貼り付けてるのは、儲けるためではない。
彼の残した作品を忘れない為。彼を忘れない為。
以下、再掲載
奥山貴宏と言う名前を聞いた事があるだろうか?いつかは取り上げたいと思っていた人だ。
でも、今まで取り上げ方がわからなかった。でも、昨日、NHKのETV特集で彼が特集されていたので、記事にした。
彼の事をしらない方に説明すると職業は作家(フリーライター)。05年4月、肺がんのため33歳で亡くなった。
2003年2月、風邪をこじらせて訪れた病院で突然「余命2年」と診断された奥山さんは亡くなる前日まで
ホームページ上に闘病日記のブログをアップし続けた。色の闘病記がインターネットで、書籍で、話題を呼んでいる人である。
命の終わりを告げられても変わらず仕事を続け、大型バイクに乗り、クラブに通い続ける奥山さんの姿は
10~30代の読者たちの共感を呼び、ブログは160万ヒットを獲得してきた。
読者と奥山さんの間では「おいしいそば屋を紹介して」「早く死ぬ事は不幸か」「ホスピスに入る事はロックか」など
さまざまな会話や議論が交わされ、亡くなった今も読者からメッセージが送られ続けている。
奥山さんの日記は期せずして、ふだん本を読まない若い世代に「死」、そして「生命」について考えさせる「命の対話」ともなってきた。
その日記を書籍化した「ガン漂流」は、まもなく3冊目が出版される。とNHKのサイトでは説明されている。
わたしゃ、この人の日記を読んでいたんだわ。毎日ではなかったけれど・・・。
この日記は彼の意図した通りに、痛々しくもなく、可愛そうと思わせるようなものではなかったと思う、多分。
病気を日常の一部と捉えて、ロックに生きていた姿がそこには書かれていた。興味深く、おもしろい日記だったよ。
彼は、死ぬことより忘れ去られる事の方が、恐怖だと言っている。死を身近に感じた人のしかわからない重い言葉が、
今考えたら散りばめられていたんだなぁと思う。
昨日のTVでは、スターウォーズエピソード3を見たいと言ってたなぁ。すごくリアリティある言葉だ。
こんな事も言っていた。「退屈な人間は、退屈な文章しか書けない」
April 16, 2005 09:32 PM に書き込まれた彼の最後の言葉。
死にたくないな。
書店で会いたい。
本屋でセットで買ってくれ。
彼のブログ
THE CANCER ADRIFT EVOLUTION2005年2月26日までの彼の日記
毎日更新奥山のオルタナティヴ日記31歳~ガン闘病編 彼のホームページ
TEKNIX 「大丈夫、ちゃんと覚えているよ!!奥山さん」
最近ふと思ふのはね
人は死ぬときを知ったときに
いくら考えても
わからなかったはずの自分の人生の目的とやらも
何となくでもわかるのかなーとも思うんだよね。
そう考えればね
死ぬ時が、わからなかった人で、
しかも人生の目的が最後までわからなかった
ただ長生きした人の死ってのは、
幸せなように言われるけど
果たしてそれが本当に幸せな事なのかなーってね
ある意味かわいそうな事なのかもしれないなーと。。
あっ、あまり関係ないかもしれないけれど
「葬式」の意味ってね
本当につまらない嫌な儀式だなーって感じに
恥ずかしながら、ずーっと思ってきたんだけど
自分より早く亡くなった人から
少しでも何かを真剣に学ぶって機会が
「葬式」なのかなーと最近思うようになったんだ。
そう考えると葬式ってのは人類の一つの叡智なのかもしれないななーんて思えてきちゃうんだ。
「人の死から、自らの生を知る」
そういう場にも思えて来ちゃうから
人間って変わるもんだねー。
えっ??みんな知ってた??
僕だけ気づいてなかった・・・???
あっ!
ここは「ゼットンの独り言」なのに
気づけば僕の独り言になっちゃってるねー。
ではまたっ!